史料で語る幕末経済の楽屋裏 逸話・史実・ロマンスの万華鏡
仏蘭西公使ロセスと小栗上野介
神長倉真民
マツノ書店 復刻版 ※原本は昭和10年
   2015年刊行 A5判 上製函入 482頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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  本書「緒言」より
■本書は現に経済雑誌「ダイヤモンド」に掲載中の「維新経済史抜読み」の一部を纏めたものである。この「維新経済史抜読み」は、吾々仲聞で「中間読物」と呼んでいるもので、趣味的経済記事という趣向のものである。

■元来、本稿は、幕末の御勘定奉行小栗上野介を中心として、幕府末年の経済政策を語り、明治新政府初代の大蔵大臣ともいふべき三岡八郎……後の由利公正を中心として、明治新政府の、経済政策を語るといふプランになっているのだが、小栗の事績を研究して行くと小栗の背後に、当時の佛蘭西公使レオン・ロッシユ……通構ロセスといふものが頑張っていて、小栗を縦横に操っていることを発見した。そこで、まづこの傀儡師から片づけて行こうとして、ポソクサ書いているうちに、何時の間にか本書を成した……こういう次第である。

■尤も、今回上梓するに当たって、新稿同様に書直したから、旧稿の面影は殆ど止めていない。雑誌の時には読みづらい史料は、省略する方針をとったが、本書には、少し縁が薄いと思われるものでも、珍らしい史料はなるべく収録する方針をとった。蓋し、この方を喜ばれる同好の士もあろうかと考えたからである。

■「六局取建の巻」では、ロセスの幕政改革建言の全文を掲載した。そのために、趣味的といふ建前からは、却つて遠ざかる結果になりはせぬかと恐れたが、ロセスといふものが、いかに深く幕府に喰ひ込んでいたかを説明するには、これが一番手取り早い方法だとも考えたからである。また、戊辰の際、ロセスが慶喜公に勧めた主戦の建白文を、殆ど全文収録したのも、同じ意味からだ。

■前陳の次第で、本書では幕府とロセス……小栗上野介とロセスとの関係を説くことが主になって、小粟の経済政策というようなものは、まだ現われていない。併し予算二百四十万弗の横須賀製鉄所の取建、六百万弗の対佛借款問題等は、従来発表されているものよりは、多少深く掘り下げられている筈だ。

■史料の多くはヅンベラ棒の書き流しであるが、私は勝手に句讃貼を施して置いた。またノ、ハ、テの意味の之、者、而はノ、ハ、テにして置いた。



仏蘭西公使ロセスと小栗上野介 目次
◎小栗上野介の巻…(1~48頁) 
ワーテルローと鳥羽伏見/モン・サン・ジャンの強襲/すベて是れ天意/慶喜の大阪逃走/『天魔の所為とも云ふべきか』/三名のコンキユーバイン/慶喜の江戸入り/江戸城会議/小栗上野介の悲憤/薩摩屋敷の焼討/ブリユーネの薩摩屋敷砲撃計画/小栗の主戦諭/小栗の軍略/小栗お直の罷免/大切な分界/小栗、権田村に去る/誤解を招いた小栗の態度/官軍の場合/小栗上野介の最後/小栗の死に関する新聞報道/御勘定奉行勝手方/小栗上野介の経歴/幕府の非常時財政/不明な幕末の財政

◎ロセスとカシヨンの巻…(49~84頁)
 勝海舟の痛憤/口セスの辣腕/小栗ロセスの掌上に躍る/ロセスの赴任/教法師カシヨン/島津斎彬とカシヨン/カシヨン函館に落つく/カシヨンと栗本安芸守/栗本先生略伝/カシヨン仏蘭西公使館に入る/栗本登用され江戸へ帰る/栗本カシヨンに再会す/ロセス外交動く/竹本淡路守の怪行動/竹本淡路の入物/纂府外交の転向/翔鶴丸の修繕

◎横須賀製鉄所の巻…(85~144頁)
 上野曰く妙々と/小栗、製鉄所取建を思ひ立つ/製鉄所取建決定す/東洋一の大事業/四五万両から二百四十万弗へ/ロセスの場合(一)~(三)/小栗の心情/愈々製鉄所設立に決す/カシヨン・栗本外交の効果/ウエルニー雇傭契約書/鍋島機械献納の魂膽/鍋島献納機械遺聞/柴田日向守渡仏/日本最初の名誉領事フロリヘラルト/フロリへラルトの人物/フロリヘラルト任命に付外国奉行伺書/小栗の違算/新政府ヘコ垂れる/大隈等の苦心/大隈の狂喜/小松帯刀書翰/借金の性質(一)/借金の性質(二)/担保の性質/幕府の使つた経費/傭仏人とその報酬/仕事の成績/横浜製鉄所/首長ウエルニー/誤謬の伝播/小栗の功罪(一)(二)/勝海舟の評言

◎三兵伝習の巻…(145~220頁) 
三兵伝習の依頼/小栗上野介等三兵伝習を企つ/栗本之を諾す/ロセスまた之を諾す/仏語学校創立/仏語学校規則/田島応親遺談/仏蘭西士官招聘の事情/仏語学校設立の事情/カシヨンの勢力/三兵教師来る/原始的軍隊/伝習隊江戸へ移る/乱雑な服装/ブリユーネ軍装を考案す/断髪奇談/関口大砲製造所/アバレモン/ナポレオン砲鋳造の苦心/種馬の贈物/馬にも運不運/伝習士官の来朝/仏蘭西士官と日本娘/パークスの激怒/ブリユネ、カズノフ榎本軍に投ず/榎本艦隊の脱走/ブリユーネ仙台に入る/榎本、土方歳三を東北軍総帥に推す/榎本蝦夷入り/品川乗り出す東艦/甲鉄艦と米国の局外中立/五稜郭の大評定/ブリユーネの志願/別離の宴/マルセーユの歌/宮古湾襲撃(一)~(三)/コラシュの入獄/函館に於ける仏蘭西軍人の活動/仏蘭西士官の其後/ブリユーネの其の後/シヤノアンのその後/勝海舟の批評/三兵局予算/巨額な軍需品購入

◎六百万弗借款の巻…(221~265頁) 
誤謬だらけの維新史/海舟遺談の謬り/江戸開城談判の登場人物/一聯の謎/海舟遺談の錯誤/勝の話の矛盾/海舟益々脱線/反対の資料(一)~(三)/再び海舟の遺談/問題の主謀者原市之進/第一回の借款談/第一回商社計画立消え/ロセス小笠原密談/借款談九分通り進捗す/借款破談の理由/第二の疑問/第二回の借款談/幕末外債綺談/問題の真相漸く判明/公子一行巴里に立往生す/仏蘭西側との感情衝突/旅費の浪費/窮余の電報/向山の報告/借款不調の事情/モンブランの策動/モンブランの偉勲/遺談、遺稿の危険/借款の性質

◎ロセスとパークスの巻…(265~324頁) 
ロセスの軍事建白/栗本、ロセスの軍事建白を焚く/兵庫先期開港問題/大久保一蔵の意気/ロセスの斡旋/パークスの鹿児島訪問/パークスの長崎に於ける策動/ロセス、パークスを追ふ/ロセス、薩人と論戦す/ロセス、パークス馬関に入る/ロセスと小笠原壱岐守密話/小笠原兵器軍艦の周旋を依頼す/ロセスと桂小五郎の応接/パークスと桂小五郎の応接/新撰組遺聞/勤王志士の隠謀/山崎、池田屋に忍ぶ/近藤の斬込み/近藤単身階上に昇る/新撰組快勝す/志士の雅懐/昨日は二上り今日三下り/坂本龍馬と寺田屋お龍/人の運命/塚原但馬守の報告/パークスの宇和島訪問/ロセス板倉会見/小笠原へのロセス書翰/慶喜ロセスに軍器軍艦の周旋を依頼す/世上の暴論/薩摩のロセス罷免運動

◎六局取建の巻…(325~378頁) 
ロセス、幕政改革案を建白す/ロセス建白の内容/ロセス上阪、将軍と密談す/ロセスの老練/愈々密談に入る/ロセス南方二港の開港を説く/ロセスの奇謀/対長州策/対朝廷策/対諸侯策/パークス懐柔策/ロセスの三治策/ロセスいよいよ六局案を説く/六局総裁のこと/会計局のこと/商社取建の事/外国借款のこと/俸給金払ひのこと/軍備統一論/大名削小論/新税創説論/産業開発論/陸軍局/海軍局/外国事務/内務司法/幕府改革の立案に着手す/ロセス更に建白す/いよいよ幕政改革案成る/幕府の改革実行/反幕志士警戒す/むすび

◎ロセスと慶喜の巻…(379~418頁) 
ロセスの商社計画/巴里に於ける商社計画/ロセスの秘策/西郷の辣腕/英国の色眼/ロセスとわが会社思想/大政奉還とロセス/慶喜外交団と会見す/慶喜の江戸逃走とロセス/ロセス慶喜に再起を勧む/ロセスの主戦建白/ロセスの作戦計画/軍事調達の方法/幕臣声明書草案/ロセスの代議方法/外交団への声明/ロセス諦め切れず/ロセス召還さる/ロセスの帰国/ロセスお富の別れ/その後のロセス/ロセス批判/むすび

◎カシヨンとシーボルトの巻…(419~473頁) 
妖法師カシヨン/カシヨンの風流/カシヨンの帰国/シーボルトの策動/シーボルトの暗躍/カシヨン排斥さる/シーボルト雇傭問題/公子教導者問題/カシヨンの復讐/向山等仏蘭西の待遇に慊らず/ロセス幕府に警告す/ロセス、国体宣伝の原案を示す/栗本安芸守巴里に向ふ/栗本巴里に入る/シーボルト栗本を警戒す/栗本の報告/留翁御国書/栗本の苦心/山高石見守の頑迷/天狗の所見/栗本の仏人評/幕府のパークス排斥運動/ガラス明けても暮れそな模様/幕府海外電信を利用す/幕府海外電信連絡を計画す/大政奉還の報至る/兇報瀕りに至る/栗本等進退を議す/栗本等帰国に決す/栗本の後始末/栗本故国に帰る/むすび


〝街頭の歴史家〟が挑む〝最後の勘定奉行〟の事蹟
  幕末史研究家 西澤 朱実
 マツノ書店から、三冊目となる小栗本の登場である。
 さきに復刻された『海軍の先駆者小栗上野介正伝』『維新前後の政争と小栗上野』に続く本書は、ともすれば〝三匹目のドジョウ〟と見られがちだろう。が、二〇〇点を超える史料によって〝最後の勘定奉行〟としての小栗の事蹟とヴィジョンに肉迫し、直接的史料の不足から難題とされてきた幕臣=小栗忠順の核心部分に正面から斬り込んだ点で、『仏蘭西公使ロセスと小栗上野介』は前二書にない強烈な個性を放つ。ある意味、〝小栗本の真打ち登場〟と言っても過言ではない一冊である。

 著者の神長倉真民は、故・馬場宏二教授の調査によれば、明治18年青森県生まれ。早稲田実業を経て雑誌『ダイヤモンド』や『経済マガジン』に健筆を振るった記者で、『閨閥の解剖』『サイエンティフィックマネージメントの研究』『米国の金融市場』などの著作を残し、昭和18年7月、齢58で没した。晩年には〝街頭の歴史家〟を称したといい、本書と併せ『明治産業発生史』『明治維新財政経済史考』の幕末維新三部作をものしてもいる。昭和10年に刊行された本書は、『ダイヤモンド』誌の連載「維新経済史抜読み」から小栗に関する部分を「幕末経済秘史第一巻」としてまとめたものだが(二巻以降は未刊)、刊行にあたり全面改稿され、実質的な書き下ろしになったという力作である。

 とはいえ、神長倉が歴史学の門外漢であることや、『維新前後の政争と小栗上野』の著者=蜷川新を批判する立場を取り(馬場宏二「神長倉史学の魅力」)、ロッシュが「小栗を縦横に操ってゐる」との極論を展開していること、また二人の人物の会話で進行する、およそ史書とは言い難い論述形式などから、本書を敬遠する向きも少なくないと思われる。が、今日、〝小栗傀儡説〟を鵜呑みにする者は皆無に等しく、記述も、要領を得ない長文より遙かに簡潔でポイントを捉えやすいため、他の細かい誤認などを含めても、欠点はさして気にならないだろう。むしろ本書では、史料からの引用を全く含まないページは全体のわずか二割という、史料集と見紛うほどに蒐集された彼我の記録類をこそ見ていただきたい。それらは、小栗が幕府を数年延命させたとされる事業の内容を明らかにするとともに、本書に幕末の外交・財政・経済史としての側面を付加する一級の情報でもある。

 たとえば、文久年間の在留者が二〇人にすぎず、対日貿易で完全に出遅れていたフランスの状況、幕府外交の親仏化を決定づけ、当初予算四五万両(約六〇万ドル)が四倍に大化けした横須賀製鉄所の人件費や建設費の実態、歩・騎・砲三兵の伝習と仏語学校のために組まれた予算の概要、明治政府に三三三万ポンドのツケを残した幕府発注の軍需品の内訳。そして、これら幕府再生のための莫大な出費を支えるはずだった「組合商法」=生糸・蚕種専売と兵庫商社設立の試み。またその時々の使命を帯びてパリへ飛んだ柴田剛中・栗本鋤雲らの腐心、ロッシュと英国公使パークスの思惑と確執、パリ万博での幕府と薩摩の鞘当て、あるいは小栗が語ったという郡県制による日本の近代化──。文久・元治から〝最後の勘定奉行〟小栗へ、連綿と続いた幕臣たちの試行錯誤の軌跡が、壮大で骨太の歴史として、読み手の前に示されるのである。

 圧巻はやはり、六〇〇万ドル借款と、ロッシュの幕政改革建白の項目だろう。
 前者は勝海舟の言から国土を担保にしたと誤認され、未だにナーヴァスなテーマだが、神長倉は勝史料の矛盾を突いてそれへの盲従を戒め、同時に、借款の決定的証拠であり数奇な由来を持つ「岸川家文書」を尾佐竹猛の著書から発掘し、借款の正確な全体像に迫っていく。またロッシュ建白については、徳川慶喜や幕閣を相手に行われた対話記録を全文収録しており、これが本書の一つの売りとなっている。ただ、文中、所々に著者の解説が入り断片化が否めないため、『徳川慶喜公伝(附録)』や『川勝家文書』『淀稲葉家文書』所収の原文との併読をお勧めしたい。

 余談ながら、著者の筆は、小栗に欠かせない埋蔵金にも触れている。これは運搬に必要な車馬数を理由に小気味良く一蹴されるのだが、同様に、読者は神長倉の博識と蘊蓄を随所で楽しむことができるだろう。
 本書は古書の出物が乏しく、現在あっても六万近い値が付くと聞く。今回のマツノ書店の英断を喜ぶとともに、この機会に本書が多くの方々に読まれることを願う次第である。
(本書パンフレットより)


歴史家顔負けの博覧強記に驚く
  歴史作家 桐野 作人
 マツノ書店から本書の推薦文を依頼されたとき、いかにも自分がその任ではないなと思いながらも引き受けたのは、本書に幕末裏面史とでもいうべき面白そうな裏話が散見されて興味を覚えたからである。
 本書のオーソドックスな紹介文は西澤朱実さんの別稿に譲り、拙稿では知られざる裏面の逸話を中心に紹介してみたい。

 本書の著者、神長倉真民は大正から昭和前期にかけて活躍した経済ジャーナリストで、決して歴史家ではない。にもかかわらず、本書の発行年である昭和10年(1935)時点で、じつに膨大な幕末関係史料を蒐集、読破しているのに驚かされる。まさに専門家も顔負けの博識である。しかも、それらの史料をほぼ原文のまま引用している点に本書の値打ちがあるといえよう。なかには、単なる不勉強だったかもしれないが、個人的に出典を知らなかった逸話をちゃんと出典付きで紹介しているのは大変参考になった。

 本書の評価が分かれるのは、やはり叙述のしかただろう。名前もない二人が登場する。一方は物知りの語り手、他方が素人の聞き手であり、両者の問答という形で、幕府側から見た幕末史が語られていく。おそらく神長倉は膨大な史料を並べるだけでは無味乾燥で読者の負担が大きく、読んでもらえないだろうと考えた末の苦肉の方法論だったのだろう。ただ、素人の聞き手のツッコミが不足していて、落語の八つぁん、熊さんのような丁々発止の問答になっていないし、中江兆民の『三酔人経綸問答』のような展開は望むべきもない。それでも、史料をなるべく咀嚼して読者に伝えようとする態度は好感がもてる。

 なお、本書のタイトルからロセス(ロッシュ)と小栗上野介(忠順)が主人公ではあるが、陰の主役は栗本鋤雲であるようにも感じられる。とくに栗本とカション(ロセスの通訳兼顧問)の関係は興味深い。
 それでは、裏面史のエピソードを思いつくままに紹介していきたい。

 ①小栗上野介といえば、赤城山中にひそかに隠したという埋蔵金伝説がある。これについては、当時の流言蜚語に尾ひれがついた程度だと思っていたが、ちゃんと当時の新聞に記事が掲載されていたというから驚いた(評者の無知なだけか)。「日々新聞」慶応四年(一八六八)閏四月二十六日付に小栗の最期を書いた記事がある。そのなかに「其外の貯金数十万両、并に諸道具類は悉く高崎安中へ御預に成りたるよし」とある。新聞記事となった以上、これを真に受ける人がいても不思議ではない。

 ②ロセスが横須賀製鉄所(横須賀造船所)の建設資金に二百数十万両もかかることを小栗に納得させるのに漢医の浅田宗伯を利用したという一件。浅田は小栗ご贔屓の医者だった。ロセスは小栗に浅田を紹介してもらい、治療と称して浅田にいろいろ吹き込んで、小栗を籠絡したという。浅田といえば、江戸開城の直前、天璋院篤姫が新政府軍の西郷吉之助に送った老女幾島の付き添いとして西郷に面会した幕府奥医師である。以前、そのいきさつを書いたことがあったが、この一件にも関わっていたとは知らなかった。なお、浅田はのど飴の浅田飴の処方箋を書いたことでも知られる。

 ③函館の五稜郭を設計・施工したことで知られる武田斐三郎がフランスのナポレオン三世から贈られた大砲(四斤野砲、同山砲)を複製しようとしたところ、砲兵大尉のブリュネーから、フランスでは軍艦と同様、大砲にも一門ごと名前を付けるから日本でもそうすべきだと忠告された。実際、その砲には皇帝の紋章として「N」が付けられ、その上に戦場名とか有名な軍人名が付けられたという。日本にはそんな習慣がないから困り果てた武田は三葉葵の紋章を付けたうえに、「天地玄黄」から始まる易経の千字文から、第一号は天、二号は地という具合に命名したという。

 ④幕府の軍制改革の一環である三兵伝習(騎兵・歩兵・砲兵)では騎兵が乗る馬の改良が重要だった。そこで、またナポレオン三世からアラビア馬の種馬二十五頭が贈られた。体高の低い日本馬と違って大きく逞しい馬なので、みな乗りたがり、調教師のカズノフに頼んでこっそり乗せてもらったという。そうしたら、将軍慶喜も大いに関心を示し、実際に見学して乗ってみたいと言いだしたらしい。乗馬姿の慶喜の古写真が残っているが、その馬は日本馬なのだろうか

 ⑤会津戦争で奥羽列藩同盟側の劣勢が明らかになり、仙台城での軍議の席上、榎本武揚が土方歳三を同盟軍の総裁に推挙したものの、一部から反対論が出たために実現しなかったという話がある。この話は承知していたが、出典を知らなかった。『史談会速記録』に収録された二本松藩士の安部井盤根の遺談という。そのなかに土方の風采が記されている。やはり美男子だったという。
「色は青い方、軀体もまた大ならず、髪を長う振り乱してある。ざつと云へば一個の美男子と申すべき相貌に覚へました」

 ⑥明治の文明開化の象徴ともいうべきものが鉄道や電信である。しかし、これも明治政府より以前に幕府が発案、構想していたものだった。ロセスが幕府に海外との電信網整備を提案したところ、栗本鋤雲は海外電信よりも、京坂と江戸の間に汽車、電信を通したほうがよいと答えたという。さらに老中の小笠原長行がアメリカ人のホルトメンに江戸・神奈川間の鉄道建設を許可したという。幕府の先進性を見る思いがする。明治政府は旧幕府の構想を継承したといえるかもしれない。

 ほかにも、将軍慶喜、カション、フランス軍人シャノワンなどの妾の話や鳥羽伏見の敗北後のロセスの主戦論など興味深い逸話がたくさんある。紙数の関係で紹介できないのが残念である。いずれにせよ、ロセスと小栗以外でも、神長倉の多方面での博覧強記ぶりに驚かされる。稀覯本にふさわしい快著、いや怪著といえるかもしれない。
(本書パンフレットより)