維新志士日記の白眉! | |
木戸孝允日記 全3冊 | |
日本史籍協会編 | |
マツノ書店 復刻版 | |
2015年刊行 A5判 並製(ソフトカバー) ケース入 普及版 パンフレットPDF(内容見本あり) | |
※ 価格・在庫状況につきましてはHPよりご確認ください。 | |
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■本書は数ある「日本史籍協会叢書」の中でも、栄えある第1回配本に選ばれ、昭和7年に上梓されるや版を重ね、維新史関係書の中でも抜群に需要の多い本として、よく知られています。 ■小社でも本書を平成8年(1996年)に復刻しましたが、やがで古書市場でも品不足となり2度めの復刻となりました。 ■今回の復刻にあたっては使い勝手を最重視し、並製(ソフトカバー)の装幀を採用しました。 |
『木戸孝允日記』の復刻に際して 佛教大学歴史学部教授 青山 忠正 |
このたび、マツノ書店から『木戸孝允日記』全三巻が復刻される運びとなった。その底本は、日本史籍協会から昭和8年(1933)6月に刊行されたものだが、ごく少部数であった。その後、昭和60年(1985)までに、東京大学出版会から復刻、さらに復刻再刊されたことがあるが、それらもすでに、古書市場でも入手しがたい状態になっていた。 書物は、それ自体が、一種の魔力を持つ文字媒体であると、私は考えている。つまり、いかにIT技術が発達し、モニター画面に、ある書物を簡単に呼び出せるようになったとしても、画面上で無機的に並ぶ文字を追うことと、読書とは、別の行為である。読書は、書物の重みと感触を、自分の手に感じ取りながら、頁を繰り、傍線を引き、書き込みを繰り返して行なうものだ。それは、すなわち書物の筆者との対話であり、時には交歓ですらあり、理解と吸収の程度が格段に違ってくる。その意味で、いわゆるアナログ媒体に思える書物の刊行は、とくに、それを通じて歴史的な考察をめぐらそうとするとき、ゆるがせにできないものなのである。 さて、現在までに公刊されている木戸日記は、明治元年(1868)4月1日から同4年2月30日まで(第一)、明治4年3月1日から同7年2月二28日まで(第二)、明治7年3月1日から同10年5月6日まで(第三)、の三巻である。わずかな例外を除き、ほぼ一日も途切れず、書き継がれている。その特徴を、以下では簡単に紹介してみよう。 第一には、何といっても、木戸が明治以降の新政府において、常に中枢的な位置にあったことである。その叙述は、ある日のみずからの活動や、そこでの会話の内容等において、実に詳細である。政治史の史料として、大きな価値を持つことは、改めて言うまでもない。明治維新期に活躍した人物の日記は、例えば大久保利通をはじめとして、決して少なくないが、木戸の場合は、その政治的位置の重さと、記事の詳細さにおいて、群を抜くといってよい。また、そこに登場する人物は、明治元年当時から、あきれるほど多彩である。たとえば、鳥羽・伏見戦まで敵対していたはずの大垣藩の菱田海鴎をはじめとする他藩人や、讃岐金刀比羅の侠客、日柳燕石のように、市井の人物までを含む。木戸の政治力が、こうした豊富な人脈に支えられたものであったことをうかがえる。 第二に、木戸は、その感情を、時として率直に、書き残していることである。元来、日記とは、公家日記に代表されるように、家としての公式行事や儀礼の次第を記録し、子孫に伝えるためのものであった。江戸時代の中期以降になると、個人が日々の行動をみずから振り返り、将来の糧とする意味で、日記に「内省」という要素が加わり、備忘メモの域を超えるようになる。しかし、木戸のそれは、「内省」には違いないが、ある出来事に関する憤懣や、人物評、はてはただの愚痴などを綿々と書き綴る。少し斜に構えた言い方になるが、木戸日記の面白さは、この点が一番かもしれない。 その一例をあげよう。明治4年正月9日、盟友広沢真臣が、東京の私邸で暗殺された。木戸は、その報を、帰郷中の山口から東京へ戻る途中の神戸で二十二日に聞いた。広沢の主張だった「真成郡県」(廃藩置県)が、実現に向かいつつある頃だ。木戸は、旅行中も持ち歩いていた広沢からの手紙を取り出し、永訣を思い、何度も読み返し、「流涕惨澹に絶えざるなり」と書き、さらに続ける。「王政一新の際、ただ広沢の一人、政府上に余を助くるものあり。今日の事を聴く。実に兄弟の難に逢うといえども、かくの如きの悼悟、如何と思う」。 振り返ってみれば、幕末以来、木戸の親しい知友は、久坂玄瑞、周布政之助、高杉晋作、坂本龍馬、大村益次郎と、政争の渦中で、次から次へと亡くなった。いたたまれぬ思いだっただろう。木戸が、京都東山の霊山に招魂社を設けようとしたことも、その思いと無関係であるはずがない。木戸の日記からは、そのような意味で、一人の政治活動家の内面をも具体的に、読み取ることができるのである 。 さて第三には、少し専門家向けの解説になってしまうが、木戸日記に関しては、それを補足してくれる関係史料が、実に豊富に存在することである。まず、木戸発書簡を中心に、木戸宛ての書簡をも収録した『木戸孝允文書』全八巻・補遺一巻(東京大学出版会、2003年復刻)がある。近年では、木戸宛ての書簡を集成した『木戸孝允関係文書』(東京大学出版会、全五巻予定、2005五年以来、第四巻まで刊行済み)も刊行中である。さかのぼっては、『松菊木戸公伝』上下(明治書院、1927年)という浩瀚な伝記があり、その行動は、比較的容易に調べることができる。これらを突き合わせて参照することにより、木戸日記の内容は、他の日記の場合と比べても、事態の背景や登場人物との関係などを、詳細に追うことができる。正直に言えば、日記だけを見ても、背景までは理解できないことが、一般論として、しばしばあるものだが、木戸日記については、ほとんど最高レベルの利用環境が整っているのである。 なお補足すれば、宮内庁書陵部所蔵、木戸家文書所収の日記原本を閲覧することもできる。私もかつて、原本調査を行なった経験がある。筆致も丁寧だが、保存状態も極めて良好である。そのためにも、まずは今回の復刻版で、一通り以上の内容を読みこむ必要があろう。 以上の内容を持つ木戸日記が、これまでより、格段に容易に入手できることになった。マツノ書店の事業に快哉を送ると同時に、研究者は言うまでもなく、木戸に関心を持つ多くの方々に広く推薦する次第である。 (本書パンフレットより) |
『木戸孝允日記』の真価 元・東京大学史料編纂所所長 藤井貞文 |
幕未明治期を通じて文武にわたって最も多彩であり、しかも維新の功績が最も柄耀たる人物といえば、私はただちに第一指を木戸孝允に屈するであろう。孝允は剣を取っては江戸随一の剣客と称せられた斎藤篤信斎の塾頭を勤めたほどの剣士であり、桂小五郎の名は今日の少年にも親しまれ、筆をとればたちまち廟堂帷幄の智謀となり、佐命の臣となって明治中興の大業に翼賛した。木戸準一郎をおいて維新の歴史は語られないのである。 孝允は、平素国事に鞅掌し、機務に参じて忙繁ほとんど寧日なき間にあって、常に筆冊をたずざえて一日の中に生起した事件を書きとめ、かつ感想をも書き加えて残した。今日に伝わる彼の日録は、明治元年4月1日すなわち明治新政の緒にようやく就いた時から、同10年5月6日に及ぶ、その身すでに重病のために進退を失うに至る時までであり、その間一日として記事を欠いていない。 孝允の日記の特色は、第一に秀れた資性による洞察力と筆力とその政治的社会的の地位とに基づく記述にある。彼はすこぶる明敏であり、感受性が豊かであり、情念もはなはだ繊細であったので、常に透徹した洞察力を持ち、高邁なる識見を持っていた。 次には旧藩時代はもとより新政府になっても、孝允の社会的・政治的の地位はすこぶる高く、とくに明治維新ならぴに明治新政において特別の位置を占める山口藩の出身であり、その活動範囲がすこぶる広かった事があげられる。 かつて尊攘志士として国事に活躍した当時はもちろん、明治新政となって政府の枢要に就くに及んでは、自らその活動も広範囲となり、更に早く海外に赴いて其の識見をいよいよ高めた彼の日記であるから、自らその価値が認められよう。 その次は日記の執筆そのものであるが、彼は日録を記すにあたって常にその日に筆をとった。時には多少の追筆もあるが、概して其の日の感想であり、したがって後の弁明が少ない。 また、文章がすこぶる簡明直裁截であり、文意もはなはだ明解であって要領をつくしている点、感慨を記して文脈が流麗であり、情義を尽し、惻々として読む者の心を打つ点等は、彼の学問・筆力が尋常でないことを思わせる。 孝允の日記は、かつて木戸侯爵家に秘蔵せられて門外不出であった。『松菊木声公伝』の編纂に当られた妻木忠太翁は、いつか私に「若し聖上が望ませ給ふ時は、余人の手に任せず、自分が棒持して直接叡覧に入れ奉る、そのほかには決して外に出さない」と語られた事があるが、それほどの秘籍であった 。 かかる秘籍が全面的に公刊され、広く研究者が利用し得るようになったのは、わが日本史籍協会が刊行史籍の中にこの日記を加え、昭和7年12月にその第一巻を上梓してからのことである。編者の妻木翁は資性すこぶる綿密慎重で、台本を作るに際しては人名の誤記、仮名づかいの相違、当て字、空自等に至る迄、原本に思実であって、真に孝允備忘のために筆を執った意図を失わぬようにと留意工夫せられた。 翁は久しく同編纂所に勤務して防長維新史の研究に従事し、すでに『維新後大年表』、『木声孝允遺文集』その他の好著があり、また『松菊木戸公伝』をはじめ『前原一誠伝』、『来原良蔵伝』の如き大署を成したのみでなく、『木戸孝允文書』八冊の如きも翁の蒐集編纂にかかり、世に定評がある所である。したがって翁の手に成る本書の如きは、自らその真価が明かであろう。 (本書「解題」より抜粋) |