維新・明治・大正の歴史は有朋を措いて語るべからず
公爵 山県有朋伝 全3巻6分冊
 徳富猪一郎 編述
 マツノ書店 復刻版 ※原本昭和8年
   2016年刊行 A5判 並製(ソフトカバー) 総約4000頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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▼本書は最も完璧な有朋の正伝として復刻を待たれていましたが、三冊で六キロあり手に取るまでが大変なので思い切って実用的な「六分冊」にしました。また紙面を111%拡大し「読み易さ」も加わりました。
▼山口と深い縁のある「雪舟」を装幀に使うのは「趣味の人・山県公」も終生、水墨画を好んでいたからに他なりません。
▼本書は昭和八年初版刊行。その後二度復刻されましたが、汚れてさえいなければ、今でも古書価は下がらず、内容の高さを証明しています。
公爵山県有朋伝 略目次
上 巻 @
例言・家系図
第一編 青年時代
総 叙 
家計及び家門
 公の幼年生活と文武修行
 公と手子役生活
第二編 尊攘運動時代(上)
公と尊皇運動
第三編 尊攘運動時代(下)
公と攘夷運動前記
 公と禁門事変
 公と攘夷運動後記
 公と俗論党掃蕩

上 巻 A
公と四境戦争
 公と長薩連合
 公と皇政復古運動
第四編 公と北越戦闘
公と関東視察
 公と北越出征
 小千谷談判
 長岡方面の戦闘
 会津方面の戦闘
 凱旋

中 巻 @
第一編 陸軍建設時代
公と欧米巡遊
 公と兵部省出仕
 親兵組織と鎮台設置
 公と廃藩置県
 徴兵令実施以前に於ける
陸軍の施設
 公と徴兵令実施
 対韓問題と廟議の破裂
 佐賀の役
 生蕃問題
 大阪会盟と内閣分離問題
 公と江華湾事変
 公と内乱鎮定
第二編 公と西南戦役
西南戦役の発端
 公と熊本及び植木方面の戦闘
 公と田原方面の戦闘
 公と山鹿方面の戦闘

中 巻 A
正面軍背面軍の戦闘と
熊本城の連絡
公と官軍連絡後の戦闘
人吉及び大口方面の戦闘
豊後及び三田井方面の戦闘
都城、宮崎、延岡方面の戦闘
 公と官軍の追撃戦
 公と城山戦闘
第三編 公と国防充実
公と軍政改革
第四編 公と憲政建設準備
公と十四年政変
 公と十四年以後に於ける 内外政局
 内務大臣時代
 公と憲政準備施設
 教育勅語の渙発

下 巻 @
第一編 公と最初の憲政実施時代
公と第一期帝国議会
 公と勇退時代の生活
 公と司法大臣
 公と枢密院議長
第二編 公と二十七八年役
公と第一軍司令官
 公と陸軍大臣の兼任
 公と戦後経営
第三編 第二次内閣前後の政局
第二次内閣組織前の政局
 公と第二次内閣
 公と第十四期帝国議会
 公と北清事変
第四編 公と三十七八年役
征露戦役以前の政局
 公と日英同盟問題
 公と桂内閣の改造
 公と対露交渉問題
 公と征露戦局
 公と講話問題

下 巻 A
第五編 公と元老時代
公と戦後の政局
 公と大正政変
 公と世界大戦
第六編 公と私生活
公と其の家庭
公と日常生活
其の邸宅及び築庭 
公と其の趣味
公と思想問題及び社会問題
年 譜



史学と史書の妙味 『公爵山縣有朋伝』復刻によせて
  東京大学名誉教授 山内 昌之
 ――いつの時代でも革命には陰謀が伴う。従って、革命に関する記録の多くは、当時の陰謀から出た結果であり、信用しがたいものがある。
 こう述べたのは、京都帝国大学の東洋史学科を創設した内藤湖南である。内藤は、薩長派だけの史料でなく、反薩長派の材料をも収集して、公平な態度をとる点こそ明治維新史研究に必要だというのだろう(「維新史の資料に就て」『内藤湖南全集』第9巻、1969年)。

 こうした「陰謀」や順逆史観の中心にいた人物は、長州閥とくに維新史料編纂局を主宰した井上馨と並んで、山県有朋だといってもまず過言ではない。しかし、山県その人にとっても、各種の維新史の記事は誤解や遺漏の多いものであった。この誤記誤伝への危惧もあって、山県は自伝的な要素も帯びた『懐旧記事』をまとめたのである。確かに、この文章は「余程、忠実な自叙伝と認められる」と専門家の藤井貞文氏によっても、続日本史籍協会叢書に『山縣公遺稿・こしのやまかぜ』の一部として収められた際に、解題のなかで高い評価を受けている。

 先に『山縣公遺稿・こしのやまかぜ』を復刻したマツノ書店が『公爵山縣有朋伝(上中下)』を新たに復刻するとの報に接して、喜びを禁じ得なかったのは私だけではあるまい。この書物そのものが史学史はもとより、歴史の産物としてすこぶる魅力に富んでいるからだ。もともと、徳富蘇峰の編述とされる『公爵山縣有朋伝』は、信濃毎日新聞の主筆をつとめたジャーナリストの川崎紫山が書いたという説もあるが、最近では両者の分担について代筆とまで断定できるか否か、慎重な見方も示されている(大谷正「歴史書と〈歴史〉の成立」『専修法学論集』100号、2007年7月)。

 閑話休題、徳富蘇峰の編述で1933(昭和8)年に山縣有朋公記念事業会によって刊行された本書は、『懐旧記事』が自伝風だとすれば、硬質な伝記的叙述そのものである。マツノ書店が前後して復刻する二点の組み合わせによって、山県有朋の像はかなり実存と本質に迫る手がかりを得ることになる。とくに馬関戦争や四境戦争から戊辰戦争に至る幕末動乱期と比べて、軍人政治家から元老への赫々たる道を歩んだ明治と大正の山県の事績には毀誉褒貶がつきまとっていたからだ。

 しかし、乃木希典将軍の旅順攻防戦に際して、山県が次のように督戦した背景と動機は何であったのか。

  百弾激雷天亦驚(百弾激雷天もまた驚く) 精神致処堅於鉄(精神致るところ鉄より堅く)
  包囲半歳万屍横(包囲半歳万屍横たわる) 一挙直屠旅順城(一挙直ちに屠れ旅順城)

 復刻された『公爵山縣有朋伝』を読めば、軍事と政治の真相の一端に改めて迫ることもできる。また、1888(明治21)年に欧州視察に出かけた折、詩藻豊かな歌人でもある山県が途中の紅海で和歌を詠みながら、国家の命運に思いを馳せた出張の目的について耽った感慨も興味深い。

  わきかへる汐さへあつき波路かなてる日のいろもくれなゐの海
 中東から欧州に入って、ウィーンの憲法学者ローレンツ・フォン・シュタインや、他の法学者グナイストやクルメツキに会ったとき、山県はありうべき国家像をどこに求めたのだろうか。『公爵山縣有朋伝』は、世界史と日本史の接点に立った山県を考える上でも重要な手がかりたるを失わない。

 総じて、いかなる材料であっても、誰もが歴史に公平な態度をとらなくてはならない。どの史料によっても、歴史家が如何に叙述に活用するのか、それを読者が如何に判断し評価するのか。この点にこそ史学と史書の妙味が存するのである。『公爵山縣有朋伝』は、その主人公とともに、書物の存在が歴史そのものになった作品として繰り返し読まれるべき雄編に違いない。
(本書販売用パンフレットより)



名著『公爵山縣有朋傳』を推す
 作家 秋山 香乃
 本書は、「今こそ読むべき一冊」として、もっと注目されてもよいはずだ。幕末から大正の終わりにかけて、いくぶん問題と欠陥を抱えた今の日本と言う国の土台ができあがっていく様子が、実に丹念に描かれているからだ。読み進めるほどに、我が国の現在抱える問題の根幹は、この時代に作られたのだということが見えてくる。本書を読み解くことは、現代日本の処々の問題を解決する手掛かりを得ることに繋がるだろう。また、我々が国際社会の中でいかに進むべきか、見失いかけた方角への道標となるのではなかろうか。

 山縣有朋は天保九年に生まれ、大正11年に死ぬまで、幼少期を除けば人生のほとんどの期間、我が国で起こった歴史的出来事に、第一線で関わり続けた稀有の男である。それゆえ、山縣有朋を知ることは近代日本史を知ることと同じであると言えるだろう。有朋が、息もつけぬほど次々と起こる国家の問題に立ち向かい、時に腹痛で下痢と闘いながら、成功したり、失敗したりして、政治家として育っていく様は、未熟だった日本国が近代国家として成長を遂げていく過程と等しく重なる。本書は、それらの歴史が、現場で奔走した者たちの生々しい視点を通し、多角的に描かれ、実に読み応えがあるのである。

 山縣有朋という人物は、卒族階級の中間から身を起こした。明治になってからは、陸軍の頂点に君臨し、内閣総理大臣を二回も勤め、あらゆる出世物語を紡ぎ出した同時代の人物の中でも、いや、日本史上でも第一の出世を遂げた人物である。いかにして有朋が、格差社会の階級の最も低い地位の一つから天辺へと上り詰めたのか、そして、長らくトップに立ち続けられたのか、本書を紐解けば、その成功の秘訣もたっぷりと知ることができるだろう。
 本書はまず有朋の若き日が描かれる。野辺の花を愛し、メジロ獲りとその飼育に夢中になり、時山直八や杉山松助などの竹馬の友に恵まれた子供時代だ。身分の低さから泥水の中、土下座させられる屈辱も味わったが、友に引き上げられる形で順当に世に出てきた。大出世を遂げるからよほど才に恵まれていたかといえば失敗も多く、岡藩領に偵察に行けば捕まり、薩摩藩領に行けば肝心の薩摩弁がわからず、何も探れず仕舞いで撤退した。さらに薩摩の船を外国船と間違え発砲し、仲違いしかけていた薩長関係に止めを刺した。

 時は乱世。次々と仲間は非業の最期を遂げ、親友と呼べる者は明治の世が来た時にはみな死んでいた。哀しみに暮れる間もなく、有朋ら生き残った者たちは、焦土の中から近代国家建設の事業に取り掛かった。が、欧米諸国は法治国家として成り立っていない日本を冷笑し、安政年間に結んだ不平等条約を改正しようとしない。有朋らの明治の闘いは、この条約改正に集約される。改正のためには強い軍隊を作ると共に、近代的な憲法と法律を制定し、帝国議会を開いて成功させて見せねばならなかった。帝国議会の記録と、法治国家成立の過程を密に記した本書は、日本大学の祖にして初代司法大臣山田顕義についても格別に頁を割いている。興味のある人には外せない一冊だ。

 有朋は、日本が富国強兵を目指した時代に陸軍を築き上げた軍人でもある。日清、日露戦争にどのように突き進み、戦い、終結させたのか。朝鮮併合はどのように行われたのか。また、第一次世界大戦に於いてはいかように諸外国と渡り合い、関わったのか。そのとき有朋や当時の政治家たちが何を思い、それぞれの戦争をどう評価してきたのか、いずれも詳らかに書かれている。

本書の最後は、有朋の茶目っ気のある人間味あふれるエピソード集で締めくくられる。本を閉じた後、きっと前より有朋を好きになっていることを請け合いたい。
(本書販売用パンフレットより)



並製本の魅力
  萩博物館特別学芸員 一坂 太郎
 このたびマツノ書店から全六冊で復刻される『公爵山縣有朋傳』全三巻の原本は豪華な上製本だが、今回は六冊になり装丁をがらりと変え並製とした点が画期的だ。

 並製本といえばすぐに崩れてしまい、長年の酷使や保存には向かないイメージがある。ところが製本技術の研究進化によるのだろうが、平成21年の『防長回天史』(全13冊)以来、マツノ書店が並製で復刻する史料本は、柔らかい手触りのくせに、やたらと頑丈だ。私などはモニターになった気分で、この『防長回天史』をわざと荒っぽく使ってみたりしたのだが、びくともしない。なかなかのスグレモノであることが分かったので、古い函入り上製本は倉庫に仕舞い、書斎の本棚には並製本を並べた。

 これは四十年の長きにわたり史料本を出し続けて来たマツノ書店が、特に若い世代あるいは百年後の読者放ったメッセージのように受け止めている。
 重厚な装丁の史料本は見栄えは良いのだが、いざ函から出して読むとなると、意外と面倒だ。いくら名著でも近づき難い雰囲気もある。ところが、用もないのに日常的に繰り返しパラパラとページをめくることで、思いがけない発見に出くわしたり、新しい研究テーマが見つかったりするのが史料本の持つ醍醐味なのだ。近年はインターネットで多くの古い史料集が閲覧出来るらしいが(私は恥ずかしながら、使ったことがない)、このパラパラ読みをするならば、「紙の本」の方が格段に扱い易いと思う。

 これまで特に、地方自治体などが出す史料本は財政的な事情からか、並製になっているものがいくつもある(その多くが、年月を経るとともに製本が崩れている)。しかし、マツノ書店はわざと軽くとも頑丈な並製で重要史料を復刻し、その敷居をぐんと低くした。「紙の本」が今後どのように生き残るかを示す、ひとつの例になるのではと思う。
(本書販売用パンフレットより)