保科正之から幕末維新に至る会津黄金時代、苦難の時代を
数々のエピソードから怪談・奇談をも交え、立体的に描く
続会津資料叢書 上下合本
 菊池重匡 編
  マツノ書店 復刻版
   2016年刊行 A5判 上製函入 880頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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『続会津資料叢書』 略目次
 上 巻
① 唖者之独見 上
 田中正玄 北原光次 内藤自卓 西郷近房 簗瀬正真 井深重吉 小原光俊 一柳直好 神保長利 三宅重直 堀長季 沼沢忠通 杉浦成信 原田種次 日向次房 菅野長則 加須屋武成 山崎定矩 竹村半右衛門 小川自閑 坂本義邵 安部井武誉 江上胤勝 大村太兵衛 片桐長嘉 木村有益 山田直明 川手昌武 笹沼勝伊 西川重次 円成寺吉忠 諏訪光徳
 唖者之独見 下
 保科正近 友松氏興 今村盛勝 安達知世 菅直忠 松倉重頼 藤木弘基 成瀬重次 山田重吉 岩崎久藩 楢林虎供 名倉信充 大道寺師繁 車隆次 安藤有益 小泉安治 石川八右衛門 遠山才兵衛 梶原景信 横田俊益 向井吉重 松原権右衛門 伊狩作太夫 芦野三太夫 赤佐武澄 玉目丹波 脇坂金元 坂井次重

② 会津干城伝 上
上太夫田中三郎兵衛正玄 上太夫友松勘十郎氏興 岩崎助左衛門 上太夫保科民部 菅勝兵衛 上太夫内藤源助 長坂平左衛門光珍 横田山入俊益 服部安休 蚕養神主佐瀬大善之助 蓮沼儀衛門由道子 松本新蔵 佐瀬主膳正 小櫃与五右衛
 会津干城伝 下
上太夫梶原平馬 坂本覚之真 広田十三左衛門 安堂市兵衛 篠原助太夫 小泉仁左衛門 木俣玄可 安藤利右衛門 山田守左衛門 金田伊左衛門 遠山故犬 宮下七左衛門。片桐善左衛門妻 中野作左衛門 森惣兵衛 一宮左太夫信綱 小松新十郎 円成寺後彦九郎忠良 黒板金太夫 鮎川弥五兵衛女 成田源兵衛 志賀与左衛門 野出且左衛門 中林弥一右衛門 佐藤与一左衛門 池上文左衛門 楢林主殿助 上島庄右衛門 土屋一庵 木村弥平治 池上善兵衛 佐藤八兵衛 円成寺彦九郎 江上隼人 南摩弥惣右衛門

③ 松平系譜
④ 会津老翁夜話
 牧渓筆御掛物の事 正宗の御腰の物の事 台徳院様御書の事 浪人鞆野が事 源太左衛門阿呆払いの事 針生何某罪過の事 百姓作左衛門が事 阿武太郎左衛門が事 安達平八が事 松本十右衛門・原九郎左衛門が事 沼沢出雲が事 三春の城主乱心の事 高坂源五郎が事 車伝右衛門・安藤六郎兵衛が事 櫻井弥一右衛門、高禄召抱事 宮本四郎左衛門切腹の事 安部家へ給仕役を貸し使わされし事 松姫様の事 松姫様加州侯へ御輿入れ後の事 松姫様の局女中が事 真綿裁許の事 菅勝兵衛存寄申し上る事 楢林主殿剛直並びに改名の事 盛惣兵衛盗賊を屈服せしめる 紀州侯と御対面の事 瀬木三郎左衛門尾州家へ 御使に参りし事 浅井内記強酌の事 信濃守様御着座の事 矢木主税御出入の事 小鼓打島田理兵衛が事 小川金左衛門傍輩の事 江上隼人大力の事 飯田兵左衛門免罪を助けし事 同人強盗を防がしめし事 黙水和尚徒弟を訓戒する事 同和尚修行の事 横山氏名僧に逢いし事 井上金右衛門山奉行被仰付事 松沢瀬兵衛不念の事 白井氏築城に巧者なる事

⑤ 会津四季往来
⑥ 会津往来
⑦ 評白

  
下 巻
⑧ 浮世荘子
⑨ 徒町百首俗解
⑩ 項捷覧会津年表
⑪ 会津災異年表
⑫ 会津小君略伝

⑬ 旧会津藩先賢遺墨伝
 松平容保・山川浩・佐川官兵衛・西郷近悳・安倍井帽山・秋月寒緑・神保修理・広沢安任・木村蕉陰・南摩羽峰・赤羽松陽・荘田胆斎・小笠原午橋・添川完平・大庭恭平
⑭ 老翁茶話
⑮ 告学者文
 

 『続会津資料叢書』の読みどころ
     作家 中村 彰彦

 菊池重匡編『続会津資料叢書』上下巻は、編者が大正時代から昭和初期にかけて蒐集し、みずから謄写印刷した会津関係史料十五編全五冊を二巻に分けて再録したものである。表題に「続」とあるからにはそれに先立って『会津資料叢書』も刊行されたのであるが、こちらはさほど内容のあるものではないので「続」のみが覆刻されることになったのだ。

 ではまず上巻に収録された七編の史料の内容から紹介してゆこう。
 ①著者不詳の「唖者の独見」は、会津藩初代藩主保科正之に仕えた藩士六十四人の評伝集。初代城代家老となった保科正近、その後任であり、「天下の名家老三人のうちもっとも勝れた人物」といわれた田中正玄などを調べる場合、これは必見の史料である。
 ②「会津干城伝」は寛政九年(1797)、会津藩士中野義都の編んだもので、やはり保科正之に仕えた藩士五十二人の伝記であるため①と重複する記述がなくもない。ただし、こちらは藩士たちのエピソードを多く採録しているので、①と併読するのがよろしかろう。
 ③「松平系譜」は文政二年(1891)に一枚刷りとして版行された会津松平家(三代藩主保科正容の時代に将軍綱吉の命によって松平に改姓)の家系図。保科正之から第七代藩主松平容衆までを扱っており、これら七人の藩主たちの正室、継室、側室の略伝も添えた丁寧な作りである。
 ④著者不明の「会津老翁夜話」は、保科正之の時代を生きた老人が当時のことを回想した四十一ヵ条の逸話集。断片的な記事もあるが、①②に登場する人物の「おや」と思いたくなるエピソードもふくまれているので注意して読みたい。
 ⑤「会津四季往来」と⑥「会津往来」(ともに作者不詳)は、かつての初等教科書であった「庭訓往来」の筆法によって鶴ヶ城や城下の様子、名所旧跡などを紹介するもので、江戸時代の会津の寺子屋では郷土を理解するためのテキストとして使用された。
 ①から⑥までを読みすすめると、古き良き時代の会津を懐しむ編者の思いがひたひたと伝わってくる。しかし、上巻の最後尾に置かれた、やはり作者不詳の「評百」によってトーンはがらりと変わる。これは会津藩が戊辰戦争に敗北して滅藩処分とされた直後の風俗を描いたもので、高利貸しや女郎屋がふえたこと、偽金造りをおこなう者がいることなどに言及し、戦後の城下の荒廃ぶりをあまさずあきらかにしているところに特徴がある。
 つづいて下巻に収録された史料は、⑧著者不詳「浮世荘子」、⑨渋谷原艸撰「徒町百首俗解」、⑩菊池重匡編「捷覧会津年表」、⑪おなじく「会津災異年表」、⑫著者不詳「松平小君略伝」、⑬馬島瑞園編「旧会津藩先賢遺墨附伝」⑭芥川清茂著「老翁茶話」、⑮山崎泉撰「告学者文」の八編である。
 これらのうち⑧は保科正之、田中正玄らの霊があらわれて後生の会津藩重臣たちを批判するという趣向の物語。⑩⑪は題名通り年表の一種、⑮も儒学者が師の教えを伝えたものでしかないので、他の四編の史料の特徴のみを紹介する。

 会津藩の城下町若松(今日の福島県会津若松市)の東郊、東山温泉の手前には、徒町といって切米を十石以下しかもらえない薄禄の下級武士たちの住む一帯があった。「弥太」と総称される住人たちは切米だけでは食べてゆけないから内職に努め、女たちは前庭にカボチャを育ててこれを主食とした。一年の楽しみといえば彼岸獅子を見物することだけという弥太たちの喜怒哀楽をユーモアたっぷりの狂歌で描いたのが⑨であり、たとえば彼岸獅子に扮した弥太の姿はつぎのように詠まれた。
 これからは弥太が冠るぞ獅子頭とひよれ 〳〵と夕ぐれの道
 冬になっても炭を買えない弥太たちの家では、炬燵に赤椀を伏せてそれを炭火に見立てるという究極の痩せ我慢をした。
 徒の町土塀南瓜の霜がれて赤椀伏する時は来にけり
 仙台藩士には奇抜な軍装を好む者が多くて「伊達風」と呼ばれたのに対し、会津藩を支えた下級武士たちの質実剛健の精神は「弥太風」と呼ばれた。⑨は狂歌百首によってその「弥太風」を描いた傑作であり、ここに描かれた弥太たちの愛敬あふれる言動を知れば、みなさんの会津藩に対する重いイメージは一変することであろう。 

 さらに⑫は、保科正之から第六代藩主松平容住まで六人の藩主の夫人と侍妾たちの伝記集として貴重な史料であって、③と併せ読むのがよいかと思う。正之の生母おしづの方が二代将軍徳川秀忠に見初められた経緯もあきらかにされているが、かつて私がもっとも注目したのは、正之の側室から継室に直ったおまんの方がお国御前の産んだ松姫に嫉妬し、毒殺を謀って実の娘お徳の方(米沢藩主夫人)を誤殺してしまった史実まで明記していることであった。藩主一族にとって不都合なことも隠さずに書くというのが、会津藩の一級史料に共通する美点でもある。
 ⑬は、会津藩最後の藩主松平容保、家老としてそれを輔佐した山川浩、佐川官兵衛など幕末に活躍した十七人の伝記集。これらの人々の別の伝記史料は会津若松市立会津図書館によく集められているので、これから会津藩の幕末史を研究しようという方にはこれらを併読することをお薦めしたい。
 ⑭は以上十三編の史料とはまったく趣を異にする怪談奇談集だが、なかなか良く出来た話がたんとあることに感心した記憶がある。

これら十四篇を精読すれば、もっとも会津藩政の充実していた保科正之の時代から幕末維新期に逆風の時を迎えるまでの会津史の流れを立体的に受け止められるようになるであろう。私個人も昭和の末に本書を入手して以来、たびたび各編を読み返しながら会津史に材を得た歴史小説や史論を書きつづけてきた。『名君の碑―保科正之の生涯』(文春文庫)、『会津のこころ』(PHP文庫)などを書くことが出来たのは本書に負うところが多く、昨年出版したアンソロジー『会津の怪談』(廣済堂出版)に収録した短編小説のうちには⑭を出典としたものもあることをこの際明記しておくことにしよう。

 ちなみに、編者菊池重匡が本書原本を謄写印刷して配布したのは死亡する昭和5年8月22日以前のことだが、書籍としての『続会津資料叢書』上下巻は、昭和49年(1974)5月20日付で歴史図書社から刊行された。定価は上下揃いで一万六千円。
 今回は四十年以上も経っての覆刻となるが、マツノ書店のことだから定価を原本とほぼ同等に抑えた良心的な本造りをしてくれるだろう。この貴重な史料集をあえてひろくお薦めするゆえんである。
(本書販売用パンフレットより)