「西南戦争」で陸軍少将を兼任。日本警察の父・川路利良を描いた稀書2点を合本復刻!
川路大警視 附・大警視川路利良君伝
中村徳五郎/鈴木蘆堂
マツノ書店 合本復刻版
   2017年刊行 A5判 上製函入 880頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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本書の原本は、『川路大警視』(中村徳五郎 昭和7年刊 日本警察新聞社刊) 『大警視川路利良君伝』(鈴木蘆堂 明治45年 東陽堂刊)の2冊です。いずれも古書市場に出回ることの少ない稀少本です。復刻に際しこの2点を合本いたしました。

川路大警視 略目次
第一章 少年時代と其環境
・誕生と其家系
・与力たる川路家の地位
・比志島村を中心としての地文人文
・薩藩の内訌と君の奮激

第二章 島津齊彬公の偉大なる感化と訓陶
・斉彬公の襲封と上民の翹望
・開国進取主義と富国強兵策
・大義名分土千古の卓識
・公の薨去と士民の慟哭

第三章 藩内外に於ける君の活動
・文久二年の上京と出府
・久光公の帰国と海防準備
・文久三年の薩英戦争と再度の上洛

第四章 王政復古と戊辰役
・此志島青年の指導訓練
・太守茂久公の上京と利良君等の従軍
・戊辰役と利良君等の転戦
・利良君東征の途に上る

第五章 明治新政と警察制度の創設
・薩藩の軍政改革及び廃藩置県の準備と断行
・警察制度の創設と其発達改良

第六章 征韓論の破裂と利良君の態度
・征韓論の発端と西郷南洲の意見
・大久保甲東の反対意見
・岩倉右府の帰朝と閣議
・岩倉右府一世の剛強
・南洲の勇退帰耕と其余波
・警保寮の動揺と利良君の確乎たる態度

第七章 警視庁の創設と其活動
・警察制度の確立
・西南役以前に於ける警視庁の活動と其新施設

第八章 西南役と川路大警視
・私学校党暴発以前の形勢
・私学校党の暴発
・所謂南洲暗殺事件と川路大警視
・南洲の大挙北進
・島津久光公の休戦建白と人心の鎭撫
・川路大警視の出征と警視隊の活動

第九章 西南役後の大警視
・紀尾井坂の変
・変後の大警視の計画
・鳳駕扈従の大警視
・大警視再度の外遊

第十章 大警視の余栄遺芳
・あゝ天恩の優渥
・遺芳千歳に薫す
・諸名士の追懐談
年譜

大警視川路利良君傳 略目次

大警視年譜
第一編 西南戦争以前に於ける大警視
第二編 西南戦争当時に於ける大警視
第三編 西南戦争以後に於ける大警視
第四編 諸名士追懐談片集
付録 警察手眼、大警視碑文



  相補い合う川路大警視の古典的伝記
鈴木蘆堂著『大警視川路利良君伝』 中村徳五郎著『川路大警視』
 作家 桐野作人

 司馬遼太郎の往年の大著『翔ぶが如く』はのちの大警視、川路利良の抱腹絶倒の逸話から始まる。すなわち、フランスのパリ郊外で汽車に乗っていた川路は急に便意を催した。ついに我慢しきれずひそかに車中で用を足し、たまたま持参していた日本の新聞にそれを包んで車窓から放り投げた。翌日それが露見し、パリの新聞に日本人の仕業だと書かれてしまい、川路が往生したというものである。
 この逸話の出典は、川路と親しかった同郷人の山下房親(ジャズピアニスト山下洋輔氏の曾祖父)の談話である。
 この談話が収録されている本が鈴木蘆堂(高重)著『大警視川路利良君伝』(東陽堂、大正元年刊)である。そしてもう一点、川路の伝記として知られているのが中村徳五郎著『川路大警視』(日本警察新聞社刊、昭和七年)である。

 この度、マツノ書店が川路大警視の代表的な伝記二点を合本復刻するという勇断を下したことを歓迎したい。というのも、川路についての伝記や評論については、現在でも、戦前刊行のこの両著が質量共に古典的な地位を占めているからである。鈴木本は川路家文書をはじめ、同郷人や警察関係者の一次史料を使用していることが緒言からわかる。中村本も同様である。
 さらにいえば、両著は内容や構成においても相補う関係にある。鈴木本が警視庁の創設から西南戦争前後が充実し、かつ川路の家族・親戚や友人知人の証言が多数収録された逸話も収録されている。それに対して、中村本は川路の全生涯をまんべんなく目配りしたオーソドックスな伝記スタイルをとっている。だから、両著を読めば、川路の生涯も功績も性格も逸話もすべてカバーできるといえよう。合冊という着想をしたマツノ書店の企画の勝利だといえよう。

 川路の名がわが国近代史に刻まれたのは、ひとえに警察制度を確立したことによる。明治五年(一八七二)、川路は邏卒総長から司法省警保寮の大警視に昇進した。一説には西郷隆盛の推挙という。
 それに伴い、川路は欧州を一年間視察し、各国の警察制度を研究して帰国するや、十カ条の警察制度改正建白」を行った。そのなかで、川路は「ポリス」という言葉を使い、警察は良民保護と内国の気力涵養のためにあることを説き、内務省の新設、司法行政警察の分離、警視庁の設置、警察官吏の官等及び職制などを提案した。川路はとくに首都警備を重視し、警視庁の設置を訴えている。
 川路の指摘どおり、同六年には内務省が創設され、大久保利通が初代内務卿に就任すると、警保寮は司法省から分離して、警視庁として内務省の所管となった。これには右大臣の岩倉具視が不平士族に襲撃された赤坂喰違の変の衝撃がきっかけだった。

 川路は率先垂範をモットーとしたので、勤務精励は警視庁でも評判だった。警官はほとんど士族で占められていたので豪傑が多かったが、剣の達人である川路の威令には服したという。また「警察手眼」を著して、各等級ごとに警官の心得を示したことでも知られる。
 中村本はこのような川路の主導による警察制度の確立を余すところなく叙述している。
 川路の生涯を大きく分けたのは、いわゆる征韓論と西南戦争における出処進退だろう。征韓論での西郷・大久保両雄の対立について、中村本も「是れ大久保内務卿及び川路大警視に関して、毀誉褒貶の由て来る所なればなり」と率直に認めている。川路に対しても、西郷の大恩を蒙りながらも、恩を仇で返したという郷里からの非難が浴びせられた。しかし、川路の覚悟は揺るがなかった。中村本に曰く、「君は能く公私の別を知れり、其の私を以て公を害せず、大義観(親)を滅するも、私恩の為に国家を顧みざるが如きは寧ろ死に勝る恥辱なりと思惟したりし」
 川路も内心の葛藤があったに違いないが、西郷からの恩にこだわるのは私的な情であり、あくまで公私の区別を重視しただけである。
 川路の毀誉褒貶でもっとも激しいのは、いわゆる「西郷暗殺指令」を出したとされる点である。中村本は「(暗殺指令について)吾輩も未だ遂に之を信ずること能わざるなり」として川路の無実を強調している。川路の伝記だから、その暗部に触れないのだろうという批判があるかもしれないが、私見でも暗殺指令は挙兵の大義名分を得たい私学校党一部激派の捏造だと考えている。私学校党に逮捕されて西郷刺殺を企てたとする中原尚雄の証言は拷問によるものであり、信じるに足りないからである。

 一方、明治十一年(一八七八)五月十四日、大久保が落命した紀尾井町事件については、事前に不穏な噂があり、島田一郎など下手人たちの出身地である石川県の県令からも警告が発せられていた。にもかかわらず、大久保自身もそれを軽視していただけでなく、周到な要人警備を怠ったのではないかという川路への非難は免れないだろう。両著とも期せずして川路の責任を指摘している。
 川路の逸話については、冒頭に述べたように、鈴木本の独壇場である(中村本にも再録)。なかでも、同郷で川路をもっともよく知る山下房親の証言が随一である。「滅多に口を利かぬ」とか「道楽のない人」という指摘は川路の人となりを示して余りある。また有名な「睾丸」事件も語っている。上野戦争で敵弾が川路の陰嚢を貫いたが、理由あって生殖機能は無事だったという逸話も収録されている(被弾したのは磐城浅川の戦いとの説もあり)。
 川路利良という堅物で一種の奇才がたどった足跡は、まさに幕末維新から明治国家が確立していく歴史と重なり合う。そうした人物を別の視角から描いてみせた両著だからこそ、その合冊復刻を喜びたい。
(本書パンフレットより)