会津攻めに圧倒的な冴えを見せた隻眼隻脚、新政府の軍師・伊地知正治、伝記の決定版
伊地知正治小伝
   鹿児島県教育会編 (マツノ書店 復刻版)※原本昭和11年
   2017年刊行 A5判 並製(ソフトカバー)函入 236頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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   「新政府軍の軍師」伊地知正治唯一の伝記『伊地知正治小伝』を推薦する
                                               歴史研究家  長南 正義

  「新政府軍の軍師」、伊地知正治にはこの譬えがふさわしい。伊地知は薩摩藩士で、幕末期に結成された精忠組に加わり、西郷隆盛や大久保利通と国事に鞅掌した勤王の志士である。幼少期に大病を患い片眼と片脚が不自由であったにもかかわらず、剣術は薬丸自顕流を、兵学は合伝流兵法を修めた、文武両道の士であった。合伝流の弟子には、西郷隆盛の弟である西郷従道や、明治期に土木県令と称された三島通庸がいる。

 片眼、片脚が不自由な軍師といえば、戦国時代の山本勘助の名が第一にあがるが、幕末新政府軍の参謀として、戊辰戦争期に大活躍したのが、山本勘助と同じく隻眼隻脚の伊地知であった。戊辰動乱の時期、伊地知は小御所会議に際して官門警備の任に当たり、鳥羽伏見の戦いでは西郷隆盛と共に鳥羽の薩摩軍の統帥に関与して機宜の処置をなしている。鳥羽伏見の戦いの後、伊地知は戊辰戦争に東山道先鋒総督府参謀として東征する。本書所収の「将帥としての伊地知正治」で大山柏が説明しているように、当時の参謀は、参謀といっても現在の参謀とはその役割を大きく異にする。総督には門地が高い人物が就くので実際の戦将ではない。そのため、軍略は参謀が決定し、参謀みずから兵を指揮することも多く、参謀は「名こそ参謀であるが、事実上の指揮官」なのである。

 戊辰戦争における伊地知の頭脳の冴えは伝説的だ。戊辰戦争の戦局の帰趨に大きな影響を与えた白河口の戦いにおいて、伊地知は白河城に拠点を置く二千五百名の旧幕府軍に対して、その三分の一にも満たないわずか七百名の戦力で包囲攻撃を実施し、旧幕府軍を撃破している。「軍師」伊地知最大の見せ場は会津攻めである。伊地知は、奥羽越列藩同盟に対する攻撃方針をめぐって、「枝葉(会津藩以外の奥羽越列藩同盟諸藩)を刈って、根元(会津藩)を枯らす」と仙台・米沢への進攻を主張する大村益次郎に反対し、「根元を刈って、枝葉を枯らす」べきであるとして会津攻略を主張し、自身の意見を通すことに成功した。さらに、会津攻めに際しては、進行ルートをめぐって、伊地知は参謀板垣退助と論戦を戦わす。すなわち、伊地知は、御霊櫃口を提案する参謀板垣退助の意見に反対し、石筵口を主張し、長州藩士百村発蔵の仲裁で、伊地知案が採用されたのである。伊地知案を採用した新政府軍は、旧幕府軍を大破して会津若松城を攻略することに成功している。戊辰戦争における「軍師」伊地知の功績は大であったといえる。

 本書は諸史料や諸証言を典拠とした「伯爵伊地知正治先生小伝」で幕を開ける。小伝というと、無味乾燥な対象人物の簡単な略歴を連想する読者が多いかもしれないが、本小伝に限ってはそのようなことはなく、藩主から伊地知に宛てて出された文書や、大久保利通宛ての伊地知書簡、関係者の談話が随所に引用され、読ませる内容となっている。たとえば、大政奉還後、徳川慶喜が兵を率い京師から大坂城に下った際に、周囲の関係者が安堵する中、伊地知は「古より兵を此地に受て未た勝者有るを聞かす。今東軍の退く其意測知るべからす、彼若し大阪城に拠り、水師以て兵庫を扼し我糧道を絶ち、関東の兵を以て海道より進撃せば、我軍殆んと死地に陥て計の施すへきなし」と述べ、京都で旧幕府軍を迎撃することの不利を指摘したうえで、敗戦に備えて予め丹波・丹後・但馬に兵を置いてこの地方を一朝有事の際の根拠地とすべきことを提案して、この策が採られたとする。

 また、先に言及した奥羽越列藩同盟に対する攻撃方法に関しても、本書に登場する伊地知の発言は「会津は賊軍の根帯なり。仙台以下は其枝葉なり。今其根を断ては則其枝は随て枯れん。且今より三旬を過くれは、氷雪地を埋て容易に若松城下に入るへからす。豈に此好機を失ふへけんや」となっており、より生々しい表現になっている。
 戊辰戦争での活躍からもわかるように、本書の白眉は、伊地知の指揮下で戦った大山巌の嗣子・大山柏執筆による「将帥としての伊地知正治」である。大山柏自身が陸軍少佐であるうえに、戊辰戦史の名著『戊辰役戦史』の著者として名高い人物でもあるため、その分析は読む人を引き込む磁力を持っている。たとえば、「将帥としての伊地知正治」の結言で大山柏は、伊地知の軍才の卓越さは、多くの戦例を羅列する必要は無く、白河口の戦いのみを挙げれば十分であるとし、敵に勝る万余の大兵を動かしながら河井継之助の戦術に翻弄されて悪戦苦闘を重ねた越後口方面の戦役と比較して、寡兵で敵の大軍を殲滅させた伊地知の作戦手腕を激賞している。

 この他にも、本書には伊地知と共に精忠組の志士として幕末期に王事に鞅掌した大久保利通の息子である大久保利武が書いた「伊地知正治先生を憶ふ」や、伊地知の合伝流の弟子であった西郷従道の子息が執筆した「一柳先生 伊地知正治伯の逸事遺聞」が収録されていて、いずれも関係者しか知らないエピソードが満載されている。
 本書は小伝ではあるものの、鹿児島県教育会が編纂した伊地知伝の決定版であり、内容も客観的で信頼できるものとなっている。初版刊行時に発行された部数も少なかったため、今では稀覯本であり古書店で見かけることも稀である。戊辰戦争を語るうえで伊地知の活躍は外せないが、伊地知の基本史料が本書である。今回の復刻を機会に多くの読者が本書を繙かれることを期待したい。 
(本書販売用パンフレットより。)